アシュタンガヨガのヨガ哲学が好きではない。
言葉には、行動できなくなる言葉と行動するための言葉の2種類に分かれる。
それらは言葉がというよりは、言葉そのものをどのように扱っているか、言葉とどのように向き合っているかというその言葉を発する持ち主の態度、心構えによって決まってくる。
物や道具と同じで使い方ということになる。
前者になってしまうタイプは、言葉の表面に留まっていてそれ以上深く掘り下げることをしないタイプだ。
言葉はある現象を指し示す単なる記号でしかない。言葉とは、言葉であって物そのものではない。それにもかかわらず、その言葉に依存してしまう。
ヨガスートラ、サンキャ哲学で言えば、実体のないものにサマパッティ(同一化)をしているといえるだろう。サンヤマ(全集中)ではない。
言葉の中身である実体(カント哲学だと実体に辿りつくことは不可能とされているが)や現象を見つめることが出来ない。
つまりは、対象に向かい合うことが出来ていないということに気付けてないということだ。
自分が「〜をできてない」ということを内省できなかったり、自分自身を知ろうとする努力が足りない、もしくは素直さや謙虚さに欠けていると行動出来なくなる言葉…身体が動けなくなる言葉と言い換えてもいい…言葉に身体が縛られていることに気づかずに、そのように作用してしまう傾向がある。
同時に言葉に縛られてしまうと、内観する能力に欠けてしまうため感性や感覚が鈍くなってしまう。
人の身体は感性と感覚の発露であって、言葉ではない。
感性と感覚は言葉を超えた向こう側にあるものだ。
私たちはそれを共有するために用いているのが言葉だ。
言葉とは私とあなたの間にあるもの。
続く。
藤枝寿紀 | アシュタンガヨガ湘南 | ヨガインストラクター
ヨガインストラクター藤枝寿紀のウェブサイト。湘南地区の藤沢、鎌倉、茅ヶ崎で本格的なアシュタンガヨガとコンディショニングを指導してます。
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