マイソールに来てまもなく1ヶ月が経つ。
月曜日は久しぶりの2nd led classを受けている。
シャラジの声で構成された音声が流れて、そのカウントに身を預けながらアーサナに取り組んでいくわけだが、
まず強く意識させられるのがヴィンヤサのカウント4番目を意味する catvari の長さだ。
この catvari のチャトランガでの溜めは非常に長く、一呼吸で支持し切ることはできない。
そうした地味な負荷を序盤で積み重ねたあとに、
カポタアーサナ、バカーサナA・B、ティッティバーサナA・B・Cあたりまで進んでいくと、序盤の catvari のチャトランガの長さの影響がじわじわと効いてくる。
きつい。
しかし、この構成は3rd シリーズにあるアームバランス系のポーズを連続して行うために必要な…
四肢と肚、そして呼吸の感覚を磨き上げるための避けられない過程なのだなとも思い知らされるわけでもある。
led classでは、自分のペースで動くことができない。
だが日常に目を向けてみれば、
本当に自分のペースで進められることなど、そう多くはない。
他者のペースに身を置くことで、
はじめて、自分に足りないものに気づかされることがある。
文句を言いたくなるときもある。
しかし、自分のペースを超えた他者のペースにあるのは、
自分のペースのままでの感覚と感性ではまずは感じ取れないことだ。
このことは誰かにとっては「言葉にするまでもない当たり前のこと」なのだろう。
けれども、その「当たり前のこと」を改めて突きつけられる1ヶ月である。
というよりは、マイソールに来るたびにいつもそんな「当たり前のこと」と向き合わされている気がする。
マイソールでアシュタンガヨガをするとはそういうことなのだろう。


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