アシュタンガヨガには「99パーセントの実践と1パーセントの理論」というパタビジョイス師の言葉がある。
この言葉を自分なりに解釈するなら「理論は実践のあとについてくるもので、実践を通して得られたものを分析したり解析したりするためのもの」ということになる。
言葉を「出来たあとにその現象がなぜ起きたかを分析したり、解析したりするためのもの」と、
「何かが出来ない時にあれこれと色々と考えて思考を始めてしまうもの」の2つに区分けすると、
何かが出来ない時の言葉は、思考によって頭の中を埋め尽くしてしまう。
そうなると、実際に表現したい現象や行動を起こすための器官が運動しなくなり言語機能が活発に働いてしまう。
そんな時、言葉と実際の間に乖離が起こる。
実際にはその動きやその現象を起こしたいはずなのに、言葉による理解をしようとすればするほど、起こしたい現象と動きから離れていっていることに気がつかくなる。
目的を達成するための戦略を練る脳の前頭前野が過剰に働いてしまえば、そこにエネルギーが供給されてしまう。
考え過ぎている状態だ。
そうなってしまうと、本来なら脳の運動野にエネルギーが供給させて活発化することで運動系統の働きをもたらしたいはずなのに、その部位にブレーキをかけてしまう。
ブレーキがかかり運動野の機能がうまく起動できていない状態では身体を動かすための指令が脳から発信することが出来にくくなり、
言葉を扱う言語野が働き出して、頭の中が言葉で埋め尽くされてしまい運動野のためのスペースがなくなってしまう。
そして、不安を感じる扁桃野が働き出してしまい運動野の機能にさらにブレーキをかけてしまう。
言葉は、実践を機能的に働かせたいがための言葉はずなのだが、使い方によっては実践の過程で実現をもたらすための弊害になってしまう。


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