むり、できない、やりたくない②

ヨガ

4日ぶりにアシュタンガヨガのプラクティスをした。フルプライマリーだ。

体調も少しづつ回復してきている。

喉と胸骨まわりに硬さが残っていたのでその辺りのストレッチを意識しながら練習をしてみた。

固って滞っていたものが動き出す感覚。

アシュタンガヨガの実践はやはり良い。

アシュタンガヨガの面白みは、出来ないことと向かい合う。

これに尽きると思う。

面白いことなんてこれしかないだろう。

と言いたいところだが、これを面白くないというのは、自分とは向き合いたくないという人だろう。

多くの人は自分の姿を鏡で見たくはないという。その気持ちはたまにある。

自分と向き合うということは、自分と対峙するということ。

つまりは鏡で自分自身を見つめ知るということと同じだ。

自分を見つめないということは自分に興味があるようでさほど興味がないということになる。

自分に強く興味を持つということは集中するということだ。

集中も練度だ。

練度ということは自分に興味を持つということも技術ということになる。すぐにはできない。

けれど、多くの人はすぐにできることだと勘違いをする。

自分に強く興味を持つための不純物を取り払う。邪念を払うとも言えるか。

適切に行えば、アシュタンガヨガは自分への興味を高めてくれることには間違いない。

けれども、不適切に続けていけば自分から遠く離れた幻想に連れていかれるが、連れていくのは自分自身だ。

幻想へ連れて行っているのが自分自身であるということにも気づかないかもしれないが。

アシュタンガヨガは自分の弱さと向かい合うことでバランスを整えていく。

自分の良いところだけを見ていきたいのが人の弱さだ。しかし、それだとバランスが整うのではなくアンバランスに向かって歪になっていく。

精神の鍛錬にもならないし、大体、大きなケガや慢性的な痛みを持っている人は自分の得意なポーズや好きなポーズばかりに取り組んで苦手なポーズを避けている人だ。

自分の弱さと向き合う強さを磨きたい。

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