ストレスは、それが自分の理解の範囲外のために起こること。
理解の範囲外とは今まで自分が経験したことがないこと。
けれども、世界と世の中はその一個人の理解の範囲外で成り立っている。
その観点で捉えれば、極論だけど自分のまわりにはストレスばかりで溢れている。
個人個人の理解の重なり、接する点と面と濃度、それが関係だ。重なり合うとき、関係ができるときに違和感なり不快感しか感じないときはそこに居続けたいとは思えないときもある。
アシュタンガヨガに関して、始めてから個人的に一番身に染みて実感していることは、望む変化はそう簡単には起こらないということ。それが人間なんだなと。
時間がかかる。これもある意味ストレスとなる。
だだ、それは結果としての自分が望む変化が起こってないだけで自分が気づかないところでの変化は度々起こっている。
できないなりにできるようになっていることがある。
変化していってることがある。
ポーズができるようになるとかもそうだけど、佇まい、微かな呼吸、表情、雰囲気など…
自分自身では気が付かないけれど、周りの人はその変化に気が付く。
望むものではないけれど、着々と望む変化に近づいていっていることだけは確かだ。
時間がかかるということは忍耐と精神力を養うことに繋がる。が、ストレスに違いない。
それは同時に必然的に自分と向き合うことが求められる。これはマジストレス。。。
ヨガのアーサナ(ポーズ・座法)はある意味、自ら心体にストレスをかけてパニック状態となり、その状態の中でいかに快適な呼吸を行っていくかという修練だ。アシュタンガヨガなんて特に。
その状態を何日も反復して、時間を重ねることで気付き(self-awareness)が起こる。そうなると身体はそのストレスに順応し始めていく。そのストレスは快適さをもたらしてくれるものとなり、もはやそれはストレスではなくなり、当たり前になる。
脳には可塑性という機能がある。
神経の繋がりは、環境に適応できるように徐々に変化していく。
今こうしている時間にも脳の機能の可塑性は緩やかに機能している。
人間のマインドと思考は機能としては本来柔らかいはずだ。
硬くしているのは私ということになる。
コメント