痛い⑤

ヨガ

ヨガをしていると、

「身体に痛いところなんてないでしょ?」

と言われることが多々ある。

残念ながらそんなことはなく、痛いところは当然ある。

ヨガをしていて…僕が実践しているのはアシュタンガヨガだけれど…おそらく身体のどこかしらの痛みがなくなることはない。

新しいポーズや苦手なポーズに取り組めば、それは挑戦となるので、痛みというのはもれなくついてくる。

痛みには、身体を動かしてない人に起こる痛みがあれば、身体を動かしている人に起こる痛みもある。

ただ、何かしらの身体操作を継続していくことで、僕の場合はアシュタンガヨガを継続して行なっていくことで、その痛みにたいしての対応の仕方がわかってくる。

それがヨガに限らず、身体を動かしていくことで培われる能力だと思う。

身体を動かし続けてきた人間に、痛みが一切ないという状態はむしろ不自然だ。

長年使い続けてきた関節、酷使してきた腱や筋、繰り返されてきた無数の微細な損傷。

それらは単なる“不調”ではなく、生きてきた時間そのものが身体に刻まれた痕跡だ。

身体を動かし続けてきた人間にとって、痛みは「敵」でも「失敗」でもない。

それは身体が発している声であり、これまでの選択と積み重ねの結果である。

問題なのは痛みがあることではない。

ヨガは痛みを否定する教えではない。

痛みに関して言えば、本来は痛みを感じ取る感受性…痛みと向き合う静けさ…痛みの質を見極める知性といったことを育てるための実践だったはずだ。

痛みがあるからこそ、呼吸は深まる。

痛みがあるからこそ、動きは洗練されて、余計な力は自然と手放されていく。

痛みのない身体を目指すのではない。

「痛みと共に在ることができる身体」を丁寧に育てていくことが大切だと思う。

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