「アシュタンガヨガを始めてからプライマリーシリーズを最低2年は実践しなければならない」
とインドの先生はカンファレンスで仰っていた記憶がなんとなくある。
僕がアシュタンガヨガを始めてから2,3年が過ぎた頃だったと思うが、その頃にアシュタンガヨガをはじめてインターミディエイトシリーズを1年と少しで終了したというプラクティショナーと出会った。
身近で彼の動きを見る期間が1年ほどあったが、今思うと、あまりにも自分とは異なった身体の質と思考の持ち主だったので、身体の使い方や考え方は参考にはなるが手本にすることはできなかった。
年数を重ねてもポーズをとることがなかなかできない自分にとって、年数を重ねなくてもそれなりに出来てしまう彼は異なったタイプの人間であることは間違いないと当時は思っていたが、今その頃を思い出してみても同じ考えだ。
身体機能に関してあまりにも能力がかけ離れている人の動きを手本にしてしまうと、本来見つめなければならない自分の身体を感じることが鈍くなってしまう。
アシュタンガヨガはポーズをとることも大切だがそれだけではない。ポーズは表面的なことでしかない。
人間の脳がいくつもレイヤーの重ね合わせと組み合わせで出来ているように人間が取り組める物事は層構造になっている。
そのため、自分自身に足し算をして何かを加えていくのではなく、引き算をしていくことが必要になる。
層構造になっている以上、十分な量を積み重ねることでしか深められない。その結果として肉体的にも精神的にも質においての変化が起こる。
だから、焦らないでじっくりと取り組むことが大切だと思う。
量を積み重ねることよりも、理解することをしたくなるのが人間の傾向だと思うが、実際にその理解に似合った身体と精神、思考に至るまでその理解が適切な理解として起こることはない。
量を積み重ねた果てにその言葉の意味が理解できるということが起きる。
言葉の意味が突然と舞い降りてくると言えるような感覚…あの人が言っていたあの言葉の意味がこういうことだったのかなと、ふと理解(勘違いかもしれないが)するまでに1年や7年かかることだってある。
ヨガの先生ではないが、ある大先生は20年以上の時間を経て過去にある達人に言われた言葉の意味が理解できたと言っていた。
量を重ね続けていかなければ、出会えるはずの適切な理解も勘違いのまま…もしくは勘違いも起こらないまま終わってしまう。
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