近年、オンラインヨガは広く普及した。
自宅にいながらヨガができるという便利さは多くの人にとって大きな魅力だとは思う。
しかし、「アシュタンガヨガを指導する」という視点から見るとオンラインという形式にはどうしても根本的な難しさがある。
それは呼吸が分からないという点だ。
アシュタンガヨガではポーズの形よりも呼吸が重要である。
シャラで指導していると先生は常に生徒の呼吸を見ているはずだ。
呼吸は空気を、空間を伝達して伝わってくる。
呼吸の音。
呼吸の長さ。
吸うときの広がり。
吐くときの沈み。
その微細な変化から、
無理をしているのか、
力んでいるのか、
バンダが働いているのか、
意識が内側に向いているのかなど、
そうしたことが自然と見えてくる。
つまり、呼吸はその人の練習の状態を映す鏡のようなものとも言える。
ところがオンラインではこの呼吸がほとんど分からない。
画面越しでは呼吸の音は聞こえない。
胸郭の細かな動きも見えない。
呼吸のリズムも感じ取れない。
残るのはポーズの「形」だけである。
すると指導も自然と形の修正に偏りやすくなる。
手をもう少しここに。
脚をもう少し伸ばして。
背中を丸めて。
しかしアシュタンガヨガは形を整えるための体操ではない。
呼吸の流れの中で身体を動かしその中で自分自身の状態を観察していく練習である。
その核心が見えないままではどうしても表面的な指導になってしまう。
もうひとつ大きな違いがある。
それは場だ。
シャラに入ると独特の空気がある。
多くの人が同じ呼吸をしていると空間全体が静かに整っていく。
呼吸の音が重なり、
そのリズムの中で自然と集中が生まれる。
あの空気の中にいると自分の呼吸も深くなり身体も落ち着いてくる。
これは画面越しでは生まれない。
ヨガは単なる運動ではない。
身体、呼吸、意識、そして場が重なり合う中で起こる実践である。
だからこそアシュタンガヨガでは、
同じ空間で練習するシャラという形が大切にされてきたのだと思う。
オンラインヨガが無意味だと言うつもりはないし、
遠くに住んでいる人やスタジオに通えない人にとっては、大切な入り口になることもある。
しかし、直接的な指導を受けられる空間での実践を継続してほしいと思ってしまう。
同じ空間に身を置くことでしか得られないものがある。
呼吸を観てもらうこと。
わずかな力みや逃げを指摘してもらうこと。
自分では気づけなかった癖に気づかされること。
そして何より、
その場に流れている呼吸のリズムや静けさの中に、自分自身が自然と調整されていく感覚。
それは知識ではなく、体験としてしか理解できない。
オンラインではどうしても、自分の見たいものだけを見て、やりたいことだけをやる方向に流れやすい。
しかし対面の場では、自分では避けていたものや、見ようとしていなかった部分にも自然と向き合うことになる。
それが練習を変えていくし、自分を変えていく。
アシュタンガヨガは、自分一人で完結するものではなく、
指導と場の中で、自分の状態が映し出され、整えられていく実践でもある。
だからこそ、もし可能であれば、シャラに足を運び、直接的な指導の中で練習してみてほしい。
そこには、画面越しでは触れることのできない、
ヨガのもう一つの側面が確かに存在している。
ということで、
オンラインヨガをはじめようか考え中。


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