ヨガ哲学では「苦しみ」は単なる障害ではなく、真実に気づくきっかけであり、自分自身を導く師そのものと捉えている。
苦しみは「識別知(ヴィヴェーカ)」を育む入口であると。
「成功や喜び」は一見望ましいものに見えるが、そこに執着を生む可能性がある。
それに対して「失敗や痛み」は、無常という現実を映し出し、魂を成熟へと促すためのきっかけとなる。
さらにヨガ哲学は、この世界は、真実と偽物を見分けることができない幻想(マヤ)に包まれた魂にとって、無知(アヴィディヤ)を学び、識別智(ヴィヴェーカ)を育て、我執(アスミタ)を超えていくための修行の場であると説いている。
失敗も苦しみもすべては業(カルマ)として差し出され、魂を磨き育てる糧にすぎない。
だからこそ、迷いや恐れに直面したときにこそヨガの実践の真価が問われ、そこに「間違いさえも学びである」という言葉が魂に強く問いかけられ、そして同時に救いとなってくれる。


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