アシュタンガヨガには、「99%の実践と1%の理論」というパタビ・ジョイス師の言葉がある。
アシュタンガヨガを通じて何を求め、何を得たいのか。
爽快感、弛緩と緊張が生み出すリラクゼーション、力強い動きから得られるエネルギー、心身の成長、そしてポーズの習得などといったところか。
これらは願望であり変化そのものだ。
ヨガ哲学の本質からは逸脱しているかもしれないが、実践を通して変化を求めるのは自然な欲求だろう。
一方、「変化を求めない。マットの外は常に変化しているから、マットの上では不変でありたい。私の実践に執着はない」と考える人もいる。
それはその人の経験から生まれた答えであり尊重されるべきだ。
しかし、変化と不変は対立する概念ではなく、相互に影響し合う。
例えば、四季という不変の枠組みがあるからこそ、日々の自然の移ろいという変化を感じることができる。
不変は概念化しやすく、システムやルーティンに組み込みやすい。
一方、変化は捉えにくい…現象だ。しかし、概念なくして現象を認識することは難しく、現象なくして概念は生まれない。変化と不変は相互依存している。
僕自身はアシュタンガヨガの実践を日々移ろう現象を感じ取る行為だと捉えている。
自分自身の身体を通して世界を知っていく行為だ。
そのためには、毎日の実践を不変の習慣としなければならない。
アーサナやプラナヤーマにおける理解は補助的な役割に過ぎず、実践を通して変化を起こすには理解よりも量の積み重ねが必要だ。
集中も大切だ。しかし何に集中するかだ。理解や言葉ではなく実践そのものに集中すべきだ。
理解は継続した実践の後に自然と生まれるものなのだから。


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