点と点を線にする力。
その方向性が無いと、
“それ”は妄想や空想や幻想…英語で言えばdelusion, illusionなどと呼ばれ、サンスクリット語ではmayaと訳せるものとなる。
点と点を線にする力。
それが備われば、”それ”は想像力や創造力と呼べるものとなる。
“それ”とは、もう少し具体的にするならば、
“ない”ものを在るものとする力。
相反する両極にある対象を1つのものとする力。
対象間にあり壁を取り除き、向かい合い、結びつく力。
という表現になる。
それでは、点と点を線にするための”力”とは何かと問われたら、
意志や気持ち、素直さといったシンプルなものだろう。
今回のシャラでの実践の時間は…マイソールでの時間はそれを見つめるには良い環境だが、
しかし、振り返ってみれば、今回に限らず以前から、マイソールのこのアシュタンガヨガの総本山で実践をしている間は、先生の佇まいや向かい合った時のその瞳の中に…鏡のように、自分の意志や気持ちを、自分が先生からどのように見えているのかを窺い知ることができた。
今回のシャラではセルフプラクティスという型式の中で、自分の内側を見つめることを自分自身で問いていかなければならない。
セルフプラクティスは毎朝家で独りで練習している型式だ。
独りでの実践だと、自分の外側である、場にエネルギーや集中力といったものは感じとることはない。
ここでは実践を長年積み重ねてきた強いマインドを持つプラクティショナーが集まっているので、場の集中力が起こり、ある種の熱い調和が生まれている。
そのため、ここでのセルフプラクティスは、普段、家で行っているセルフプラクティスとはまた異なると個人的には感じている。
けれでも、いつものシャラ内を巡っている熱気とは違う。
“肉体的としての先生はもういない。けれども、精神的な存在としては至る所にいる”
確かにその通りだとは思うが、
けれども、肉体が存在しないということは、やはり、とても大きなことだと感じてしまう。
“ない”ものを在るとする力…
“ない”ものを在ると感じることがもっとできるように、その能力を磨かいていかなければならない。
磨いていかなければならないことはシンプルな部分…意志、気持ち、素直さということになるのだろう。
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