迷ったり悩んだりするからこそ

ヨガ

先日、茅ヶ崎のconditioning labo kizukiでのマイソールクラスにて、生徒さんがラグヴァジュラアーサナを練習していた時に急性の腰痛を発症してしまい、起き上がることができない状態になってしまった。

kizuki代表の榎坂の時間が空いてたので彼に施術をお願いして診てもらうことができた。

症状としては、ギックリ腰の手前の手前ほどの急性腰痛だった。

大腿四頭筋と大腰筋のが固まってしまっていたことが主な原因だったが、足先の外反母趾と内反小趾による足指の弱さやデスクワーク時の姿勢による頚椎の頚椎の1、2番の張りなども大きく関わっているとのことだった。

その日の朝は寒さもあり、生徒さんの足先も冷えきっていたことが原因としてあるだろう。

彼の施術により生徒さんも痛みも無くなり街で買い物をして帰っていくことができた。

人の身体は多角的に捉えて検討していかないと見えてこないが、多角的に捉えていったからといって正確に捉えることは難しい。流動的で常に変化している。その変化を感じることができるセンサーを磨いていくことが必要になる。

センサーというのも条件に簡単に影響受けてしまい変わってしまう。その時の体調や天候、場の雰囲気や集まる人の影響力などによって、その時その時によって条件が異なる。

そのため自分自身の意見や感覚だけを優先するのではなく、客観的な意見を集めていくことによって自分自身のズレているセンサーを整えて、調整していくことが必要になる時もある。

専門家の話は聞いたり、教わったりしてそのアイデアを咀嚼していく過程が必要だ。

けれども、専門家一人一人によって視点というのは異なってくる。

身体の痛みがある部位の改善に努める柔道整復師的視点もあれば、

身体の全体性を調整していく整体師的視点というのは全く異なるし、

病理学的な視点から身体を俯瞰して運動機能の改善に努めていく理学療法士的視点もあれば、

解剖学的に身体の構造を分解して施術していく理学療法士もいる。

整形外科のドクター的視点というのも専門分野によってまた違った観点から人の身体を捉える。

1つの現象をそれぞれの視点や立場から捉えて多角的に分析することができるので、あまりにも多くの情報を受け止めてしまうと混乱して迷ってしまうことがある。

しかし、迷ったり悩んだりすることをしなければ気づけないこともある。

迷ったり悩んだりする時間は自分自身と向き合っている時間になる。

そういった時間を過ごすことで新しい気付きが得られる。

また、先程も述べたように、わかっている人や出来ている人に聞くことが近道だ。

自分がそれを出来なかったり、わからないのは自分が出来ないしわからないからだ。

そんなわからない自分が自分だけで考えていてもわかるまでには時間を要するし、出来るまでには時間がかかる。

人間は自分が理解していることだけしか理解できない。

それならば、わかっている人や出来てる人に聞くのが手っ取り早い。

そして、その結果として聞いても出来ない、わからないのであれば自分の中にそれが出来たり、わかったりするための土台がないということになる。

土台作りに励むしかない。

土台が整ったときにその意味がわかってくる。

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