昨年の12月はインドにいたので参加できなく、1年ぶりになる日野武道ws。
今回は腸腰筋と胸鎖乳突筋、小胸筋、菱形筋に筋肉痛が来た。特に腸腰筋の筋肉痛がかなり酷く、深い鼻呼吸やウジャイ呼吸をするとけっこう痛い。
日頃のアシュタンガヨガの実践で使ってはいるが、明らかに使い方が異なる。けれども、はじめて参加した時にはこれらの部位が筋肉痛になるなんてことは一切無かった。
継続したアシュタンガヨガの実践が身体を内観する能力や使う感覚を磨いてくれているのは間違いない。
2017年辺りにはじめて参加したので、ワークショップの参加メンバーの中では常連になり、他の常連の方々とも顔馴染みになってきている。
最初は何もできないし、先生がおっしゃることもちんぷんかんぷんなことばかりだったけど、少しはできるようになってきていることもあれば、全く出来ないこともある。わからなかったことが少しばかりわかってきた気もするし、何が何だかさっぱりわからないこともある。
まぁ、それらの認識は勘違いでしかないのかもしれないが、勘違いしてでも続けていかなければ、適切な行為と理解に至ることはまず起こらない。
勘違い上等…ということになる。
仮にワークショップ内でこなせていたとしても、日常の自分の土壌に活かせなければ参加してても意味はないが、日々の日常にワークショップで感じたことを取り入れるにはかなりのパワーがいる。そこまでのパワーは自分には無いとも思ってはしまうが、それは余計なことをしているからでもあるのだなと今回の参加した2日目と3日目の3コマ目の人間関係塾での日野先生との会話をしていてふと思った。「もっと力を抜いてもいいのかも」と考えはじめた。
余計なことをしている、余計な力みを加えている、力まなくてもいいところに力みを加えているということも自分1人ではなかなか気付くことはできない。
余計な力みは目の前の相手に違和感として伝わっている。例え、その違和感に目の前の人自身が気付いていなくても間違いなくその人の身体には伝わっている。
目の前に向かい合っている人に感じてもらい、考えて頂き、指摘してもらえることで、はじめてそれを自覚無しに行っている自分に気付けることがある。自己完結していてはまずは気付くことは難しい。自己完結している人間には他人は何も指摘はしない。指摘したとしてもそういう人は聞くことができないということを誰もが皆一応は知っている。だからこそ、日野先生は「聴く」というワークに重きを置いている。
はじめて参加されていたカウンセラーを職業とされている方がいた。初日の身体関係塾と人間関係塾で「自分はこれならできるはず」と思っていたらしいが、職業として人と向かい合うことをしているのにも関わらずあまりに何もできなかったらしく、先生からも少し何かを言われたようでかなり落ち込んでいた。「そんなもんですよ」と伝えといた。
人間関係塾でのワークでペアを組むことがあったが、確かに向かい合いでのバシッと来る感じはしなかった。向かい合えていない。それが正直な意見だ。普段からカウンセリングに関する知識や情報を取り入れ過ぎて思考過多な状態で色々考え過ぎてしまっているからなのだろう。人間関係を良くするための啓発的な知識や情報、小手先の技術を蓄えて身にまとうことは向かい合うことから遠のいてしまう。「考え過ぎですよ」と伝えた。
考え過ぎると言葉に惑わされてしまい動きや所作が不自然になる。人のはわかるときはわかるが自分のそれを知るにはやはり指摘してもらわないと気がつくことはなかなかできない。
今回は、ワークショップで日野先生に師事して30年近い師範代の坂本さんや、愛知から道場やワークショップ、武禅に通っている都築さんとペアを組んでの取り組む時間を多く持てたのはありがたかった。
坂本さんは日頃から日野先生の技を受けているため感覚と経験が研ぎ澄まされている方だ。ワークショップで行うことは普段の武道クラスで行うことはない。坂本さんが日野先生の手本を観て「何をとっかかり」にして稽古をはじめていき、試行錯誤を繰り返していくのかという段取りを一緒に踏めたのは貴重な体験だった。
そこに自己完結は一切なく、1つのとっかかりから手探りで進めていき、実行してみて、その反応と現象を感じとり、言語化して目の前にいる僕にどのように感じたかを問い、さらにその意図を伝えて、その答えを受けてからフィードバックして新たな試みをしてみて、先生が為している現象に近づくための試行錯誤を繰り返す。
…
身体塾で行う縦系の連動は1日数回は行っていた。基本の胸骨はあまりやってない。
膝カックンからはじまり鼠蹊部あたりからの腸腰筋や腹筋群に連動を伝えて肩甲骨周りまでの一連の流れを体感することはできるようになった。
しかし、そこから肘と指先までの流れになると日頃相手がいる稽古をしてきてないので「倒してやる」という欲求と力みが起こり、肩と指先に不自然な緊張を作り出してしまい同速で連動を繋げできたリズムを崩してしまう。
そのことに囚われ過ぎて考え過ぎてしまうと膝からはじめた一連の流れをやり通す意志が失せてしまう。
これらの事も指摘されてはじめて気付ける。
このワークショップに参加すると、いつも「人の話を聞けていない自分だと知る。人の話を聞くことは本来難しいはずなのに聞けていると勘違いしている自分に気がつく」と毎度毎度そのように思わされる。あまりに同じ言葉しか出てこないので成長してないようにも思ってしまう。
…
丁寧とは何かというと、その瞬間においての感じるとれる変数の数が多い。ということなのだろう。
変数の数とは、気がつくことができる、気にとめることのできる、反応することができる要素の数であり、その総量はエネルギーに比例する。それは圧倒的な意志であり、気持ちであり、スズメバチの大群からも逃げないアドレナリンだ。
「逃げてはだめだ」
そこから生まれてくるもののはず。


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