あなたの職務は行為そのものにある。
決してその結果にはない。
行為の結果を動機としてはいけない。
または無為に執着してはならぬ。
『バガヴァッド•ギーター』2章47節
ヨガの効用や効果は、結果そのものにあるのではなく、結果に至るまでの過程にこそある。
身体が柔らかくなった。
ポーズができるようになった。
筋力がついた。
アシュタンガヨガならば、次のシリーズへ進んだ。
これらはヨガによって生じた「結果」であって、ヨガが人を変えている本体ではないと思う。
人が変わるのは、その結果に至るまでに、
できないことに向き合い、
何度も失敗し、
呼吸を繰り返し、
自覚のない力みと張りの弱さに気付き、
自分の癖を知り、
先生から修正され、
それでもまた翌日マットに立つ。
その反復と継続の過程にあるはず。
過程を適切に整えていくことが、反復と継続であり、それは結果よりも大切なはずだ。
そもそも、過程が不適切ならば、適切な結果というのは生まれにくいではないか。
過程を整えていく。
結果を望むなら、この地道な行程を見ていかないといけない。
ここで、ヨガへの向き合い方を三つの段階に分けて考えることができると思う。
| 段階 | ヨガ | 意識 | 中心にあるもの |
| 初級 | 結果のヨガ | できる・できない・何ができたか。 | 獲得 |
| 中級 | 過程のヨガ | どう取り組むか。 | 修練 |
| 上級 | 存在のヨガ | ただ、やる。 | 生き方 |
初級者は「やる」を身につける。
初級者は、どうしても結果を見やすい。
そして、結果を即急に求めがちだ。
「このポーズができるようになりたい」
「身体を柔らかくしたい」
「上達したい」
「身体の痛みをとりたい」
「肩こりや腰痛を改善したい」
「眠りが浅いのを改善したい」
「疲れにくい身体になりたい」
「ストレスを減らしたい」
「いつになったら効果が出るのか」
こうした願いは、ヨガを始めるきっかけとして、とても自然なものだと思う。
身体の痛みをなんとかしたい。
よく眠れるようになりたい。
身体を変えたい。
つまり、最初は誰もがある程度、「ヨガをすれば、自分に何が起こるのか」という結果を求めてやってくる。
結果を求めること自体が悪いわけではない。
むしろ、その期待がヨガを始める入口になる。
しかし、ここに一つ難しいところがある。
結果は欲しい。
けれど、その結果を生み出すための過程を積み重ねることができない。
身体の痛みがとれるのか。
睡眠が深くなるのか。
身体が柔らかくなるのか。
その答えを早く知りたくなる。
けれど、身体は一回や二回の実践ですべてを答えてくれるわけではない。
そう易々と望んだ変化というのは人間には起こらない。
それでも今日もやる。
また明日やる。
変化が分からなくてもやる。
思うような結果が出なくてもやる。
先生から同じことを言われても、またやる。
そうやって反復と継続を重ねて、初めて「過程」が生まれる。
そして、その過程の中で身体感覚が変わり、呼吸が変わり、生活習慣が変わり、自分の身体との付き合い方そのものが少しずつ変わっていく。
だから初級者に本当に必要なのは、結果を急いで確認することではない。
「やる」こと。
「ただ、やる」こと。
「やる」がなければ、過程は生まれない。
過程がなければ、ヨガの効用を受け取ることもできない。
そして当然、結果もついてこない。
だから、
初級者は、結果を求めながら「やる」を学ぶ。
中級者は、「やる」を積み重ね、過程そのものに価値を見出す。
上級者は、「ただ、やる」が生き方になる。


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