「運動神経が良い。」
一言でそう言っても、その中には大きな違いがあると思う。
世の中には、身体能力だけで上達した人もいれば、反復と継続、そして修正を積み重ねることで上達した人もいるだろう。
最初は身体能力が高い人の方が目立つ。
クラスで一番。
学年で一番。
そのくらいまでは、生まれ持った身体能力、もしくはその時までの運動環境でも評価されることが多々あると思う。
しかし、競技レベルが上がるほど、求められる能力は変化していく。
| レベル | 主な違い |
| クラスで1番 | 身体能力•積極性 |
| 学年•学校で1番 | 身体能力+そこそこの練習量 |
| 市大会レベル | 身体能力+そこそこの練習量+基礎技術 |
| 県大会出場レベル | 身体能力+練習量+武器が一つある |
| 県大会ベスト16 | 武器に加え、修正力が必要となり始める |
| 県大会ベスト8 | 修正力•分析力•継続力が差になる |
| 県大会優勝 | 複数の武器+意志+自己修正力 |
| 関東大会レベル | 身体•技術•戦術•精神が揃う |
| 全国大会出場 | 高い修正力•分析力•継続力•意志 |
| 全国大会ベスト8 | 状況に応じて自分自身を修正して変えられる |
| 全国大会優勝 | 強烈な我と謙虚さを両立し、人間性まで競技力に変える |
| ワールドクラス | 身体•技術•知性•精神•環境を統合し、競技そのものを進化させる |
僕が思うに、競技のジャンルに関わらず、県大会ベスト16あたりから「身体能力だけでは勝てない世界」に入ると感じる。
その頃から、学び方そのものが変化する。
- 初級者は、「できる・できない」で考える。
- 中級者は、「どうすればできるか」を考える。
- 上級者は、「自分の修正の仕方」を修正する。
つまり、上達する人ほど、技術だけではなく、学び方そのものを磨いていく。
中世ドイツの文豪ゲーテは、
「師が見ているものを見よ」
という言葉を残している。
この言葉は、まさに上達の本質を表していると思う。
県大会ベスト16くらいまでは、多くの人は先生の言葉を聞いている。
「もっと力を抜いて。」
「呼吸を続けて。」
「軸を感じて。」
その言葉を理解しようとする。
しかし、全国や世界レベルになると違う。
その人たちが学ぼうとしているのは、先生の言葉ではない。
先生は何を見て、その言葉を伝えたのか。
先生はどんな身体を見ているのか。
先生はどんな原理で人を見ているのか。
その「先生が見ている世界」そのものを学ぼうとする。
だから、一つの助言から得られる学びの量が圧倒的に異なってくる。
言葉を覚える人と、世界の見え方を学ぶ人。
この差は、競技人生の後半になるほど、大きな差となって現れる。
そして、その学びを可能にするのが、謙虚さではないだろうか。
謙虚さとは、自分を小さくすることではない。
自分にはまだ見えていない世界があることを認め、その世界を見ようとし続ける姿勢だ。
つまり、
謙虚さ = 修正力 = フィードバック能力
だと思う。
しかし、謙虚であるだけでも、全国や世界には届かないと思う。
そこには、強烈な意志とエゴも必要だ。
「もっと上手くなりたい。」
「絶対にここまで行きたい。」
「負けたくない。」
「自分ならできる。」
そういう強い我がなければ、何年、何十年という反復と継続には耐えられない。
ただし、エゴには二つの方向があると思う。
一つは、現在の自分を守るエゴ。
指摘されたときに、
「でも、自分はこう思う。」
「自分には自分のやり方がある。」
「今日はたまたま調子が悪かった。」
と、自分を正当化する方向に働くエゴだ。
これは、自分を守ってはくれるが、自分を変えてはくれない。
もう一つは、現在の自分を超えるためのエゴ。
「絶対に上手くなりたい。だから、自分が間違っているなら直す。」
「勝ちたい。だから、自分のやり方さえ捨てる。」
こちらのエゴは、自分を守るためではなく、自分を前へ進ませるために働く。
言い換えれば、
弱いエゴは、現在の自分を守る。
強いエゴは、現在の自分さえ壊して先へ進む。
そして、その強烈な我を何年にもわたって一つの方向へ運び続ける力が、意志なのだと思う。
結果が出ない。
負ける。
怪我をする。
評価されない。
面白くない。
それでも、次の日にまた練習する。
ここまで来ると、もはや単純な身体能力の話ではなくなる。
ヨガを指導していても、身体のポテンシャルは非常に高いのに、「できる自分」を見せることや、人から評価されることに意識が向きすぎて、なかなか修正できない人がいる。
反対に、身体的なポテンシャルはそれほど高くなくても、根気強く反復し、継続し、失敗し、反省し、修正し続ける人もいる。
数年という時間で見ると、この差は非常に大きくなる。
身体能力は、スタート地点を決める。
しかし、到達点を決めるのは、身体能力だけではない。
性格。
思考。
謙虚さ。
分析力。
意志。
エゴ。
反復する力。
継続する力。
そして、優れた指導者やメンターから学ぶ力。
競技レベルが上がれば上がるほど、こうした一見「運動神経とは関係なさそうな能力」が、運動能力そのものになっていく。
そして、本当に高いレベルでは、さらに面白い矛盾が生まれると思う。
圧倒的に自分を信じながら、圧倒的に自分を疑える。
強烈なエゴを持ちながら、そのエゴを捨てて人から学べる。
絶対に譲らない意志を持ちながら、自分の技術や考え方については柔軟に変化できる。
我が弱いのでは決してない。
むしろ、我はものすごく強い。
けれども、その我に支配されていない。
その強さと柔らかさが同居したとき、人間の持っている能力は大きく開いていくのだと思う。
だから、運動神経とは単に「身体を上手に動かせる能力」ではないのだと思っている。
身体能力は、その一部に過ぎない。
学び続ける力。
修正し続ける力。
自分を信じる力。
自分を疑う力。
そして、何年でも続けられる意志。
そうしたものが身体と一つになったとき、本当の意味での「運動能力」になるのだと思う。
才能は、スタート地点を決める。
学び方と意志は、到達点を変える。


コメント