内観②

ヨガ

ヨガとは、内観を育むものである。

しかし、ヨガは内観だけでは成り立たない。

内観は確かにヨガの核心的な契機となる。

呼吸を感じ、身体の反応を観察し、自分の内側に起こる変化に気づく…

このプロセスなしにヨガのアーサナは単なる運動や体操に堕してしまう。

しかし、一方でその内観は決して「内側だけ」で完結してはいけない。

呼吸は外界との交換であり、

身体は重力や空間との関係の中で存在し、

意識は環境や他者との相互作用の中で変化していく。

つまり、内観とは「閉じること」ではなく、

外界との関係性の中で自分を観るということになる。

ここで見えてくるのは、

内観とは単に「内に向かう行為」ではなく、

「内と外の関係を観る行為」ということだ。

さらに、アシュタンガヨガでは「内観を育むもの」ではなく「内観が必然的に生まれてくる構造」が内包している。

決まったシークエンス、繰り返し、呼吸の制約…

その枠組みの中に身を置くことで、嫌でも自分の状態に直面せざるを得なくなる。

それは、努力して内観するのではなく、逃げ場がなくなることで内観が自ずと起こる。

とも言える。

そうなると、ヨガが「内観を育むもの」ということが濃さを増し、ヨガが内観と外界との関係性を露わにする実践」となる。

内と外、主体と環境、身体と意識…

それらを切り分けるのではなく、そのあいだに起こる相互作用をそのまま観ていく。

そのプロセスの中で、内観は深まり、

同時に「内観している主体」すらも揺らいでいくのだろう。

主体が揺らいでいくことによって、

ヨガとは内観であり、そして内観ではなく、

その両者の関係が絶えず変化し続ける場そのものになる。

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